レーベンフック研究会のホームページ
       
 レーベンフック研究会のホームページは、Facebookに移行しました。このホームページは、暫定的に運営させていただきますが、新しい情報は Facebookのページをご覧下さい。お問い合わせは、Facebookにご登録の上、Facebookのページの管理人宛にお送り下さい。ご迷惑をおかけいたhしまたしますが、よろしくお願い申し上げます。 Facebookのページへは、下の図あるいは、このページのタイトル部分のFacebookのロゴをクリックしてください。(2011.8)
       
       

あなたは、レーベンフックを知っていますか? 17世紀終わり頃に手作りの顕微鏡で、細菌を始めとした多くの発見をした学者です。 レーベンフックは、オランダのデルフトで生まれました。画家のフェルメールも同じ町の出身です。
       
レーベンフック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia
       

アントニ・ファン・レーウェンフック(Antoni van Leeuwenhoek 1632年10月24日 - 1723年8月26日)は、オランダのアマチュア生物学者。歴史上はじめて顕微鏡を使って微生物の世界をみた人物であり、微生物学の父とも称せられる。

【 生涯 】1632年、籠作り職人Philips Antonyszoon van Leeuwenhoekの子としてオランダのデルフト東端のライオン門の角(これがLeeuwenhoekの由来である)の家に生まれる。1648年(16歳)から6年間はアムステルダムの織物商に奉公していた。1654年(22歳)にデルフトに戻って醸造家の娘Barbaraと結婚し、織物商を営んだ。Barbaraは1666年(34歳)に亡くなり、1671年(39歳)に彼女の親戚Corneliaと再婚している。1660年(28歳)からはデルフトの役人(議会の管理官)としての職務を担い、また1669年(37歳)には測量士として公認されている。1675年(43歳)のとき同郷の画家ヨハネス・フェルメールの遺産管財人となったことで知られる他、1679年(47歳)からはワイン計量官も務めている。1723年、気管支肺炎のため90歳で亡くなった。
【 業績 】レーウェンフックは専門的教育を受けていなかったが、自作の顕微鏡で大量の生物学上の発見をした。彼の顕微鏡は、径1mm程度の球形のレンズを、金属板の中央にはめ込んだだけの単眼式のものであった。資料を載せる針はねじ式に微調整できるようになっていた。生涯に作った顕微鏡の数は500にもなるとも言われる。それらを用いて身近なものを覗いて回り、様々なものを見て感動していた。この中には、当時専門家には知られていなかった新発見が多数含まれていたが、彼はそれらの成果を発表する場を持たなかった。
レーウェンフックの観察をロンドン王立協会に紹介したのは、デルフトの解剖学者Reinier de Graafが送った1673年の書簡が初めである。そのすぐ後にオランダの政治家・文筆家であるConstantijn Huygens(クリスティアーン・ホイヘンスの父親)がロバート・フックに個人的に紹介の手紙を送っている。この年以降、継続的に王立協会に観察記録を送り続けた。彼は学問がなかったため、手紙の報告は日常的なオランダ語によるものであった。これを実験担当のロバート・フックが認め、ラテン語訳してレーウェンフック全集として発刊した。また、1680年に王立協会会員としても迎えられた。
1674年、池の水を観察していたレーフェンフックはこれまで誰も報告したことのない奇妙な動く物体を発見。生物であるという証拠はなかったが、微小動物(animalcule)と名付けた。このとき顕微鏡の倍率は約200倍に達していた。
彼はその強い好奇心で様々なものを覗き、それによって新しいものを発見したが、それだけではなく、鋭く批判的な観察眼で、観察したものを分析したことも重要である。当時、微細な昆虫は植物種子などから自然発生するものと考えられていたが、レーウェンフックは観察によりこれらの生物も親の産む卵から孵化することを発見した。また、彼が発見した微生物についても、砂粒との類推からその大きさを計算したり、微生物にも誕生や死があることを確認したりしている。赤血球が毛細血管を通ることを示した。1674年、微生物を発見した。1677年、精子を発見した。)

 

Antony (October 24, 1632 - August 30, 1723), full name Thonius Philips van Leeuwenhoek was a Dutch tradesman and scientist from Delft, Netherlands. He is commonly known as "the Father of Microbiology". Born the son of a basket maker, at age 16 he secured an apprenticeship with a Scottish cloth merchant in Amsterdam. He is best known for his work on the improvement of the microscope and for his contributions towards the establishment of microbiology. Using his handcrafted microscopes he was the first to observe and describe single celled organisms, which he originally referred to as animalcules, and which we now refer to as microorganisms. He was also the first to record microscopic observations of muscle fibers, bacteria, spermatozoa and blood flow in capillaries (small blood vessels).
During his lifetime van Leeuwenhoek ground over 500 optical lenses. He also created over 400 different types of microscopes, only nine of which still exist today. His microscopes were made of silver or copper metal frames holding hand-ground lenses. Those that have survived the years are able to magnify up to 275 times. It is suspected, though, that van Leeuwenhoek possessed some microscopes that could magnify up to 500 times. Although he has been widely regarded as a diletante or amateur, his scientific research was of remarkably high
quality.