電子顕微鏡技術研究所

日本の製糸業と顕微鏡

地元の中日新聞に、富岡製糸場の保存にご尽力された片倉工業の社長さんの記事が載っていました。「片倉製糸…….、そういえばこの会社の古い顕微鏡があった….。」ことに気がつきました。そうか、この顕微鏡は「富岡製糸場」に関係しているんだ…。これまで、製糸関連で顕微鏡は「糸」を観察するために使用されていたと思い込んでいましたが、少し調べてみると、この分野での顕微鏡の貢献は違うところにあることがわかりました。皆さんはすでにご存知だったかもしれませんが、ご興味がおありのかたは、以下のサイトをご覧ください。
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「当社は富岡製糸場を所有した後、戦時中の混乱期も途切れることなく操業いたしました。また、常に「進取の精神」をもち、蚕種改良と世界初の全自動繰糸機の開発などの「技術革新」によりシルク産業における世界との架け橋となりました。 1987年(昭和62年)に富岡製糸場を操業停止し、2005年(平成17年)に富岡市に寄贈いたしました。この寄贈するまでの18年間については、「売らない」「貸さない」「壊さない」という気持ちで保存してまいりました。」片倉工業株式会社ホームページより
https://www.katakura.co.jp/tomioka.htm 「微粒子病が育てた養蚕技術」
https://www.jataff.jp/senjin2/4.html
「Pathological analysis of silkworm infected by two microsporidia Nosema bombycis CQ1 and Vairimorpha necatrix BM」 https://www.sciencedirect.com/.../pii/S0022201117303026
「おめでとう!世界遺産「田島弥平旧宅」 ~島村の養蚕家たち」 https://blog.goo.ne.jp/.../3ff3e5e64f057a2b13e81128ad8de012
「カイコの微粒子病研究と農学 140 年」 嶋田 透 東京大学大学院農学生命科学研究科 昆虫遺伝研究室 http://www.academy.nougaku.jp/annua.../kaiho22/10_rondan.pdf
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「福島片倉蚕種製造所」で使われていた顕微鏡

19世紀前半頃まではフランスやイタリアが世界の養蚕業の中心でしたが、1840年頃からフランスを中心として後日「微粒子病」と命名された蚕の病気が蔓延するようになり、1860年台には大流行するようになりました。フランスやスイスの昆虫学者や植物学者は、この病気に感染したカイコを顕微鏡で観察して、体内に微生物のようなものが存在することを発見しました。1869年、細菌学者のルイ・パスツール(Louis Pasteur, 1822〜1895)が、この微生物が病原体 であることを実験的に証明し、その感染経路を解明しました。パスツールは母蛾を個体別に袋に入れて産卵させ、産卵後の母蛾を顕微鏡で観察し、体内に微粒子をもつ感染した蛾の卵を袋ごと除く方法を開発しました(袋採り採種法)。

幸い日本ではこの病気は蔓延することはなく、蚕種や生糸の生産や輸出が増加する契機になりました。 蚕糸業は明治新政府の「殖産興業」の中核を成していました。新政府の官吏の佐々木長淳(1830~1916)や東京医学校の練木喜三(1850〜1910)が、養蚕家の田島武平達と共に、この蚕の病気に取り組みました。 練木 は、日本で初 めて「微粒子病」という病名を記載した公文書である「微粒子病試験報告」を農商務省から発表しています(1884年)。東京に設置された「蚕病試験場」は、その後、西ヶ原に移転し「蚕業試験場」となり、蚕種検査の実務に従事する検査員の養成も行われるようになりました。原蚕種製造所(明治 44 年)、蚕糸試験場(昭和 12 年)、蚕糸・昆虫農業 技術研究所(昭和 63 年)等へと名称を変更し、平成 13 年からは独立行政法人 農業生物資源研究所の一部門となって現在に続いています。 1900年前後の養蚕分野において、主として「微粒子病」対策としての検査に顕微鏡がたくさん使われていたわけです。私のラボにも「富岡製糸場」で使われたいた顕微鏡をはじめ何台かの「古い顕微鏡」が保管されています。ドイツから輸入されたライカ製、ドイツからの輸入が困難な時代にオーストリアから輸入されたライヘルト製、国産化されたエムカテラなどがあります。 【文献1】農林水産省における蚕糸試験研究の歴史 北村實彬・野崎 稔 https://www.naro.affrc.go.jp/.../history/history-index.htm 【文献2】カイコの微粒子病研究と農学 140 年 嶋田 透(東京大学大学院農学生命科学研究科 昆虫遺伝研究室) http://www.academy.nougaku.jp/annua.../kaiho22/10_rondan.pdf 【参考】「母蛾検査」(https://www.naro.affrc.go.jp/archive/nias/silkwave/hiroba/FYI/shiiku-manual/bogakensa.htmより引用)

母蛾検査の実施要領 1)母蛾の乾燥および保存 収蛾後はなるべく早い時期に母蛾の乾燥を行う。乾燥は収蛾箱ごと乾燥機で乾燥(70℃、6時間)し、母蛾検査まで保管する。乾燥後長期保存する場合は、カビを発生させないこと、防虫剤を入れ、缶又はビニール袋に密封して保存するよう留意する。 2)1蛾別検査 蛾別の検査では0.5%炭酸カリウム又は2%水酸化カリウム水溶液4mlを加え、母蛾磨砕機によって磨砕した後、この磨砕液を鏡検用スライドグラスに1滴滴下し、カバーグラスをかけて600倍の位相差顕微鏡で鏡検する。 なお、「蚕種等に係わる蚕糸業法の運用に関する局長通達」59農蚕第3667号では、母蛾検査について蛾数ごとに2枚以上の標本を調整し、2人以上の職員がそれぞれ1枚の標本を鏡検することと、1鏡面ごとに10視野以上鏡検することを定めている。 微粒子病は、胞子がやや楕円型または洋梨型をしており、蛍光色を彩する。脂肪球は円型で、表面近くに存在するために顕微鏡のピントを合わせることで微粒子と区別できる。また、カビが発生した母蛾は微粒子と区別しにくいことがある。カビも蛍光色を彩するが微粒子よりも小さく、円型をしており通常の場合は多数現れるので区別できる。 真性微粒子に遭遇することは極めてまれであって、通常は新型原虫及び疑似胞子類が多いが、それだけに検査の前に、これらの標本(Sample)をプレパラートに準備してあらかじめ目を馴らすことが必要である。 また、原原蚕種及び原蚕種については、鏡検の結果M11などの新型原虫及び疑似胞子類が発見された場合にも、すべて不合格とする(昭和53年3月27日付農蚕園芸局長通達)こととなっている。

「福島片倉蚕種製造所」の古い絵葉書

「福島片倉蚕種製造所」の古い絵葉書です。 「母蛾調整器」(左)、「母蛾検査」(右)という説明があります。 顕微鏡は傾斜できるタイプを使っていますので、以前入手した「片倉製糸」の顕微鏡よりは新しいようです。 追記: 以前の投稿を確認したところ、ストックしてある「片倉製糸」の顕微鏡もこのタイプでした。コメントからご覧いただけます。 ところで、女工さんの後ろの男性たちは、見張り役? 「女工哀史」の世界を彷彿とさせますね.....。

恵那郡落合村(旧)の「渡辺館」の顕微鏡

1909年製造のライツ製です。恵那郡落合村(旧)の「渡辺館」という「会社」が、蚕種の製造時の「微粒子病」のチェックに使用されていたようです。この時期の顕微鏡は、これまでにもアップさせていただいていますが、養蚕業関係で使用されていたものが多いですね。レンズが揃っていませんでした。パンタグラフ式の「微動装置」の動きが悪かったので、分解して調整しました。部品の一部に「コルク」が使われていました。摩耗していたので、補修しました。 恵那のこの地方は、昔は養蚕業が盛んだったようで、「蠶霊神社」という神社があります。 https://www.naro.affrc.go.jp/.../silk.../GNSanrei/sanrei.htm この地方の明治時代の産業に関する論文です。「製糸業」についての記載があります。「蚕種業」についての記載はありません。 https://www.jstage.jst.go.jp/.../6_KJ000037.../_pdf/-char/ja

田中作右衛門の顕微鏡

1895年製造、Leitz 製。木箱の裏面に所有者名。購入は明治29年(1896年)。「田中作右衛門さんは何を観ていたのかな?」。

明治時代の輸出用レッテル

「田中作右衛門」さんをウェブで検索してみましたが、見つけられませんでした。旧「長岡村」は、東北地方等全国に存在しますので特定できません。例えば、長野県上伊那郡箕輪町の「長岡新田」という村の歴史書が閲覧できます。野良仕事の合間に養蚕をやっていたようですが、村民名簿に「田中さん」の記載はありません。 https://www.town.minowa.lg.jp/html/nagaoka/index.html... そこで、「東英社」を調べてみました。調査を進めてゆくと、「株式会社nittoh」(旧社名「日東光学工業株式会社」)の前身の会社であることがわかりました。会社沿革に、「1876年生糸製造を目的として東英社を設立」とあります。 https://www.nittohkogaku.co.jp/company/history.html やはり、養蚕業で、「微粒子病」といわれる感染症の研究に使われていたようです。「株式会社nittoh」は長野県諏訪市に拠点を置く会社なので、田中さんは長野県のどこかのご出身で、諏訪の会社に就職されたのかもしれません。 養蚕業で光学顕微鏡を使用していた会社が、その後、「光学分野」の企業に発展しているのには、何かしら感慨深いものがありますね。 http://www.academy.nougaku.jp/annua.../kaiho22/10_rondan.pdf https://mmdb.net/mlab/uedagaku/kyozai/shishi/28/234.pdf 「東英社」の「土蔵繭倉庫」が移築・保存されていることもわかりました。 https://m.facebook.com/silkfact/posts/2612572202322544... また、「これなあに」というサイトに「生糸のレッテル(明治時代の輸出用レッテル)」というページがあり、「東英社」のレッテルがアップされていましたので、写真を掲載させていただきます。 http://core.kyoto3.jp/silk.html

「香川県蚕業試験場」

箱の背面に「香川県蚕業試験場」の焼印が入っています。箱の蓋が経年変化で反っていますので、修理します。本体は、硬くなっていた鏡体の動きを調整して、汚れは取りました。真鍮部分を磨くのはやめましょう。

「福島県蚕業取締所」の顕微鏡

おそらく、日本最古の商用顕微鏡「田中式顕微鏡」だろうと思われます。福島県蚕業取締所から養蚕農家へ貸し出されていたんでしょうね。「鏡歴」と書かれた「貸し出し簿」らしきものが入っていました。